日系移民史を調べること

平成30年度文化交流使(長期派遣型)
田中 功起
アーティスト
  • 派遣国:アメリカ,スイス,ドイツ,ギリシャ,中国,オランダ
  • 活動期間:2018年7月1日~2019年1月4日,1月20日~25日,1月30日~2月4日

今回ぼくが主な活動としたのは日系移民史を調べることでした。「文化交流使」として期待されているのは日本文化を海外に発信することだと思います。その意味では調査をベースにした活動は「文化交流」の名前とはそぐいません。でもぼくには日本の伝統に根ざした,紹介すべき特別な技能はありません。

オアフ島 ホノウリウリ収容所跡地見学ツアーの様子

ハワイやロサンゼルスなどで協力者に会ったときに説明したのは,ぼくの活動は,ひとつの地域の特殊性を他の場所に紹介するのではなく,むしろ別々の文脈にあるもの,あるいは時間的な隔たりのある歴史と現在の中に共通点を見出すこと,いわばそうした時間と空間を繋ぐ「交流」を促すことだと。今回はその元になる情報を調査することに徹して,人に会い,資料を読み,場所を訪ねて歩きました。

ロサンゼルス 全米日系人博物館で会場を案内しご自身の収容所体験を聞かせていただいたビル・シシマさんと

日系移民史を調べることは,海外に渡航した人びとの困難の歴史を紐解くことです。それはグローバリゼーションの中で移動するさまざまな人びと,いま現在の移民や難民をめぐる問題との共通点に気づく旅でもありました。そこには当時ないがしろにされた人権,あるいはアジア系移民をめぐる差別や偏見がありました。

ハワイ島 ヒロにある津波博物館での1946年の津波の記録

特に太平洋戦争中の日系人強制収容をめぐる問題は日本ではあまり知られていません。またハワイにおいては,強制収容はもうひとつ別の側面があります。アメリカ本土との関係による違いです。

ギリシャのレスボス島 難民たちが使っていたライフベストの廃棄場

アメリカ本土では西海岸を中心としてすべての日本人/日系人が収容されましたが,そもそも日系移民の多いハワイでは,全員を強制収容することができず(社会の大半をしめる日系人を収容してしまってはそもそも社会,そしてその経済が破綻してしまう),主に指導者たちだけに絞られました。

ロッテルダム ロッテルダム映画祭プログラマーのジュリアン・ロスさんとのアフタートーク

だから,基本的に,収容所をめぐるナラティブではアメリカ本土にあった収容所群だけが中心に語られ,ハワイにあった,例えばホノウリウリ収容所などは除外されています。ただ,近年の発掘調査によってその状況は変わってきているようです。例えば収容所跡地見学ツアーが行われ,そこでは関係者の話を聞くこともでき,今後はより開かれた場所になっていくはずです。

 

田中 功起 プロフィール